人前で話をするときに、きちんと伝わるためには「話し方」の工夫が大切ですね。それは誰でも考えるところですが、「声」の問題を正しく理解している方は意外と少ないようです。
思い当たることはないでしょうか?謝られているのに、ちっとも謝られた気がしなくて逆に気分を害してしまうこととか、また、感謝の言葉を述べているのに、感謝していないように受け止められてしまうことがあります。「うちの夫は全然優しい言葉をかけてくれない」と思っている妻の夫が、彼なりに妻に労いの言葉をかけているつもりでいることもあります。
なぜ、このようなすれ違いが起こるのでしょうか?それは、私たちが子どもの頃から特に声の使い方について訓練を受けてこなかったからです。
私たちが学校で国語を習っていたときの教科書には、声の使い方について特に触れられていなかったと思います。
ところが外国語をマスターする際には、「声」の要素を理解することが必要になる場面があります。例えばイタリア語では、動詞の未来形に微妙なニュアンスを乗せて表現することがあります。文章をテキストでみると、単なる未来の話をしていると取れるのですが、発話するときの声の使い方で、「〜するでしょう」という意味にもなれば、「〜かもしれないけれども」という意味にもなります。外国語を読み書き中心で学んでいると、こうしたニュアンスのある表現はなかなか理解できずに苦労します。母国語で話しているときに声の使い方を意識していないため、外国語の習得にもハンディが生じているのです。
日本語であれ、外国語であれ、人と人とが対話する場面では、言葉の選び方やロジック以上に、声の使い方がとても大きな影響力を持っています。